スナイパーエリート:レジスタンス(Sniper Elite: Resistance)のPC版がいよいよ!
2025年1月31日
に迫っています。
(※PS5、PS4版は3月)
このスナイパーエリートシリーズ、流行り物には手を出さず、新作はいつも様子見で買う私が、必ず予約してでも買う数少ないシリーズのひとつなんです。
このゲームの最大の特徴と言ってもいい点、それは「X線キルカメラ(x-ray kill cam)」
※画像は「スナイパーエリート5 (Sniper Elite 5)」のもの。
発射された弾丸が飛翔するさまをスローモーションで見せ、弾丸がドイツ兵に命中したらX線で透過したビューを用いて弾丸が臓器をどのように破壊し、死に至らしめるかを描写する。
なかなかグロい表現なのですが、不思議と「目を背けたくなるような」グロさを感じさせず、そこはなことないコミカルさすら感じさせる演出。このX線キルカメラは、このシリーズを通して貫かれてきた伝統です。
スナイパーエリートが日本兵を敵役にする可能性
この「スナイパーエリート」シリーズ、一貫して第二次世界大戦を作品の舞台としており、敵役はいつもナチス・ドイツなわけですが…
妄想好きの私は「スナイパーエリート・パシフィック」は将来、リリースされる可能性はあるか?と創造の翼をひろげてしまうのです。
つまり、太平洋戦争を舞台にした、日本兵が敵役の「スナイパーエリート」というわけです。
これについては、可能性はゼロに近いだろうな、と思っています。
これには、デベロッパー&パブリッシャーが貫きたいコンセプトはヨーロッパ&アフリカ戦線にあるような気がしてるということもあります。加えて、過去作と同じテイストで日本兵を敵として登場させると、おそらく日本では大騒ぎになるのではないでしょうか。
いわゆる「弥助騒動」が炎上した「アサシンクリード シャドウズ」では、この弥助問題が国会でも取り上げられました。
もしもスナイパーエリートが太平洋戦争を舞台にして、連合国兵によって日本兵がゲームの中で殺傷され、そのさまがX線キルカメラで描写される光景には、多くの日本人が不快感をもよおすのではないかと思うのです。
SNSでも反対意見が紛糾し、マスコミが盛んに取り上げ、国会でも議論されるかもしれない。ゲームの販売停止を求める署名活動や不買運動などが行われても不思議はない。
このようなリスクを考えれば、まあ、ないだろうなと。
過去には、リアル系FPS1「メダルオブオナー」シリーズのひとつ、太平洋戦争を舞台にした「ライジング・サン(Medal of Honor: Rising Sun)」が日本では未発売となったという事実もありますよね。
私はこの作品をプレイしましたが、「天皇陛下万歳!」と叫びながら突撃してくる日本兵が立てこもるバンカーを火炎放射器で燃やすミッションなど、なかなか尖った演出がなされていたのを記憶しています。日本で発売されないのも納得です。
日本人がこうした演出に対して強い反応を示すであろうと私が考える背景には、われわれ日本人の中に「日本兵は私達の祖父たち・ご先祖様たち」という意識が根強くあるからだろうと思います。そこに世代間の「断裂」「精算」「断ち切り」はない。
これはドイツにおけるアドルフ・ヒトラーやナチス・ドイツといった強力な「過去の象徴的存在」との「精算」「断ち切り」が明確に行われたドイツと日本との違いだと私は思っています。
では、ドイツ人はどう思っているのか?
第二次世界大戦の終結以降、ナチス・ドイツは長きにわたって、欧米の映画を始めとしたエンタメにおいて、
- 擁護の余地のない絶対悪
- 「ドイツ野郎をブッ殺せ!」
などなど、絶好の敵役として時に軽薄に、時に重厚に重用されてきました。
私は以前、ドイツからの留学生にこの話題についてたずねたことがあります。「エンタメの世界でナチス・ドイツが常に「殺して当然の敵役」として描かれることを、ドイツ人はどう思っているのか?」と。
そのドイツ人はこのように言いました。「ドイツ人の多くがナチス時代のことは現在の自分たちとは切り離して考えている。過去への責任を放棄しているというわけではもちろんない。だが私達ドイツ人の思いは、日本人が日本兵を先祖として敬うような気持ちとは異質なものだと思う」
最後は少々、重たい話題になってしまいました。
われわれ日本人とドイツ人では、宗教観、死生観、ありとあらゆる価値観が異なることはいうまでもありませんが、これは非常に興味深い視座をもたらしてくれるテーマなのです。
- First Person Shooter(ファーストパーソンシューティング)の略で、一人称視点のシューティングゲームのジャンル ↩︎
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