ポスターとか、アートとか、あるいはフィギュアなどには昔からあまり興味がなく、そうしたものは家には置いていない私。
ですが、般若の面は飾っています。これです。
「怖い」と感じる方もおられるかもしれませんね。
でも、当の私は全く怖くありません。
今回の記事では、私がどんな思いからこの般若の面を飾っているのかを述べたいと思います。
般若の面とは
般若の面は、能面の一種です。能面というと、こういう「女系」も有名ですよね。
さてそんな能面の一種である般若の面ですが、一見すると、とても恐ろしい鬼の形相に見えます。
しかし、よく見てみると、顔の下半分は恐ろしい鬼が大きく口を開いている造形になっていますが、反面、顔の上半分は、眉を寄せて目をうるませた「悲しみをたたえた表情」をしていることがわかります。
このように怖い形相の般若の面ですが、よく見ると怒りを表しているだけではありません。目から下の部分は確かに激しい怒りが感じられますが、目から上の部分には深い悲しみが感じられます。
般若の面はただ怖いだけではなく、顔の上下で鬼女の心の二面性を表しているのです。そこには、不本意ながら鬼になってしまった恥ずかしさやうしろめたさ、情念に翻弄されてしまった人間の悲しさや切なさが感じられます。
引用元:家族葬ファミーユ
https://www.famille-kazokusou.com/magazine/ososhiki/177
般若の面があらわす「二面性」
私がなぜ般若の面を飾っているのか?それは、般若の面が持つ「二面性」です。
一見すると恐ろしい姿の鬼、悪を体現しているともいえる。しかし別の面から観察すると、それは嫉妬に狂い、人であることを捨ててしまった悲しい存在。
般若の面は私に「どんな物事も、多角的に見て判断しなければいけない」ことを思い出させてくれます。
絶対的な悪など存在しないし、逆に、絶対的な善というものもまた存在しません。
しかし人はだれでも、易きに流されるものです。たとえば「社会が悪いのは〇〇のせいだ!」という扇動に、かんたんに流され、本質を見失ってしまうのが人というものです。
私は般若の面を、そんな弱い人間の一人である自分への戒めとして、飾っています。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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