東京美容外科という美容外科クリニックの女性医師がグアムでの解剖研修において、SNSに不適切な投稿をしたとして炎上している件。
今回の記事では、この件について、社会の中で高位に属する職業に期待される職業倫理や、急速に日本で進行する階級化などの観点から私見を述べたいと思います。
解剖実習投稿が炎上した件のあらまし
まず、今回の騒動のあらましは以下に引用します。
女性外科医は、グアムでの解剖研修の様子を撮影した写真などを公開。「いざ Fresh cadaver(新鮮なご遺体)解剖しに行きます!」「頭部がたくさんあるよ」などとつづり、献体された死体の一部にモザイクがかかっていなかった。ネット上の騒動を受け、女性外科医は当該投稿を23日までに削除し、自身のブログに謝罪文を掲載していた。
麻生泰氏、女性外科医の献体写真公開で炎上を謝罪も再炎上「言い訳不要」「違うでしょ」Xの声 - 芸能 : 日刊スポーツ東京美容外科の統括院長を務める麻生泰氏が23日、X(旧ツイッター)を更新。同院に勤める女性外科医がグアムでの解剖研修をめぐり、不適切投稿を行ったことについて謝… - 日刊スポーツ新聞社のニュースサイト、ニッカンスポーツ・コム(nikkansports.com)
騒動の背景にあるもの
私の私見としては、今回の騒動には以下のような背景があるかと思っています。
「自由のパラドックス」
現在は、個人主義が強固に支持されている時代です。個人主義とは集団の利益よりも個人の利益が優先されるということ。「自由のパラドックス」とは、完全な自由を認めると、自由を破壊しようとする人々の行動(たとえば「ルールを守らない自由も認められるべきではないか」といった主張)も許されるため、最終的に自由そのものが失われる可能性があるというジレンマを指します。
つまり、今回の騒動でいえば、
「医師には高い倫理感が求められるというが、それに縛られない自由も認められるべきではないか」
と主張する人が、もしいたとして、そうした主張に対しても我々は「何をバカなことを」を一笑に付すのではなく「真摯に」耳を傾けなくてはいけない。そんな風潮が支配する社会に私達は生きている、ということです。
誤解していただきたくないのですが、今回の騒動の渦中にある医師の方々がこのような主張をした・している、という意味ではありません。上記の主張はあくまでも説明のためのフィクションに過ぎません。くれぐれも誤解のなきようお願いします。
自由のパラドックスは、「白か黒か」、あるいは「0→100(ゼロヒャク)(ゼロか百か)」といった、くっきり・明確な形ではなく、もっとあいまいで境界のぼやけた「グラデーション」のように私達の心に働きかけると私は考えています。
ようするに、現代においては、高い倫理感が求められる職業についている人たちにおいても「これくらい許されるんじゃないか」「今は個性の時代だし」といった心理から、社会から高い職業倫理を求められている職業人として踏み越えてはいけない一線を「あいまいなままに」踏み越えてしまう状況が生まれがちである、と思うのです。
こうしたことは何も医師に限ったことではありません。たとえば警察官が「あぁ~今月の交通違反切符のノルマ厳しいわぁ~クッソムカツクわぁ」などと公の場で発言することは、やはり社会からは許容されないでしょう。
同様に、弁護士が法の知識を悪用して詐欺を行うことを匂わせるコメントをすることもまた許されないでしょう。
しかし、これらの職種においても、いやあらゆる領域において、職業倫理にかかわる踏み越えてはいけない一線のグラデーション化・不明瞭化は確実に侵食していくものと私は考えています。
日本においても階級化と分断は深刻に進んでいる
次に、社会に存在する階級の中で、医師のような高い階層に属する人々による「やらかし」が社会に与える影響について述べます。
医学部はいわゆる「理系」の頂点に君臨する学部の一つであり、メリトクラシー1が支配する現代の社会では最上位に位置する教育機関であるといえます。さらに医師の所得は日本国内における被雇用者の平均と比較してもかなり高く、日本の勤務医の全年齢平均年収は、約1,428.8万円(令和4年賃金構造基本統計調査より)とされています。
いっぽう日本では「失われた30年」と表されるように、ようするにずっと貧しい状態が続き、国民の間における経済格差も日々拡大し続けています。
多くの若者が奨学金の返済に追われ、仕事を掛け持ちして長時間労働を強いられ、人間らしい最低限度の生活を営むことすら困難な状態に置かれています。
そんな中、「学歴エリート」であり「所得エリート」でもある医師が不祥事をしでかすと、それに対する批判・攻撃はより一層苛烈になることはいうまでもありません。
もし今回の騒動が、医師ではない人たち、たとえば、解剖研修が終わった後で検体の後処理をして埋葬まで行う過程の中でその作業を担う労働者による悪ふざけだったとしたならば、これほどの騒動になることはなかったのではないでしょうか。
今回の騒動では、日本の社会における階級化、格差の拡大、そしてそれらがもはや取り返しもつかないほどに進行していることを、まざまざと見せつけるエピソードの一つとして私は受け止めた次第です。
- 能力主義のこと。 ↩︎
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