ユービーアイソフト1のAAAタイトル2である「アサシンクリード」シリーズの最新作である「アサシン クリード シャドウズ」が2025年の2月14日に発売が予定されています。
ゲームに興味がある方なら、この作品が2024年に巻き起こした炎上騒動、いわゆる「弥助騒動」についてご存知のことと思います。
今回の記事では、今回の騒動について私の意見を述べたいと思います。
といっても、事細かに問題の論点をひとつひとつ精査していき、正しいのはユービーアイソフト側なのか、はたまた批判を浴びせた側なのかについて、白黒はっきりつけるということはしません。私にはそのような能力はありません。
あくまでも私個人のふわりとした感想を述べるだけの内容です。
弥助騒動の概要
まず、「アサシンクリード シャドウズ」(以下、「シャドウズ」)の今回の騒動について、時系列で簡単に解説したいと思います。
ゲームの発表(2024年5月)
- ユービーアイソフトが『アサシンクリード シャドウズ』を発表。
- 日本の戦国時代を舞台にし、弥助を主人公とする内容が明らかになる。
2. 反響と批判の開始
- 日本国内外でゲーム内容に対する批判が浮上。
- 特に日本の歴史や文化の描写が歪んでいるとの指摘が多く出る。
3. 浜田聡議員の問題提起
- 日本の参議院議員、浜田聡氏が国会でこの問題を取り上げる。
- 文部科学省、外務省、経済産業省に質問書を提出。
4. メディアとSNSでの議論
- 問題がメディアやSNSで拡散。
- 一部ではゲームの歴史的正確性や文化的配慮を欠く点について議論が白熱。
5.ユービーアイソフト関係者による反論
ユービーアイソフトの関係者が「シャドウズを批判する人は人種差別主義者である」といった趣旨の発言を行ったと報じられる。
「弥助騒動」の論点
弥助騒動の論点としては、概ね以下の点があげられます。非常に多角的な観点から論じられていると思います。
1.歴史の歪曲と事実誤認
- ゲームが日本の歴史や文化を正確に描写していないとの指摘。
- 主人公として登場する弥助(織田信長に仕えたとされる黒人武士)の設定が、史実ではなく創作に基づいている可能性。
2. 日本文化と歴史の軽視
- 外国企業が日本の文化や歴史を商品化する過程で、尊重や配慮が欠けているという批判。
- 戦国時代の日本を舞台にするにも関わらず、不正確または偏った描写が懸念される。
3. 歴史的アイデンティティの保護
- 歴史上の人物や文化が、フィクションとして誤解されることで、日本の歴史的アイデンティティが損なわれる可能性。
4. 教育的影響
- 歴史を題材にしたゲームが、プレイヤー(特に若年層)に誤った歴史認識を植え付ける可能性。
5. 国際的な企業の文化的責任
- ユービーアイソフトのような多国籍企業が、異文化を取り扱う際にどの程度の責任を持つべきか。
- 日本国内でのゲーム販売における適切な文化的配慮が不足しているという懸念。
6. 国際的影響と外交問題
- ゲームが日本と他国の間で文化的誤解や摩擦を引き起こす可能性。
- 外国人プレイヤーに対する日本の文化や歴史の誤ったイメージ形成。
7. 政府の対応
- 文部科学省、外務省、経済産業省がこの問題にどう対応するか。
- 国内法や政策を通じた、文化や歴史に対する適切な保護策の有無。
8. クリエイティブな自由と制約のバランス
- 表現の自由としての創作物と、歴史や文化の正確性を求める声のバランスをどのように取るべきか。
私の意見
私は基本的にユービーアイソフト好きです
まずはじめに、ゲーム好きである私が、ユービーアイソフトという企業がこれまで開発してきた作品、および同社をどのように考えているか、について述べたいと思います。
同社が開発した作品は、私にとって思い出深いものが多いです。
「アサシンクリード」シリーズはすべてプレイしてきましたし、銃やミリタリーが好きな私にとって「ゴーストリコン ワイルドランズ」は神ゲーです。
「ウォッチドッグス」シリーズも、ステルスゲームが大好物で、かつ、元ITエンジニアの私にとってはハッキングというのも興味深いテーマであり、大好きなシリーズです。
Far Cryシリーズは、世界観やゲームシステムが私の好みとは少しょう異なるため、そこまでノリノリでプレイしてきたわけではありませんが、オープンワールド&銃とくればおさえておかないわけにはいかず、これまた欠かすことなく追いかけてきました。
個人的には、近年では同社の作品は少々、粗製乱造が目立つと感じていました。せっかく育ててきたIP3を台無しにしてしまったと感じる作品も、ちらほらあるなぁと感じていました。そんな少々残念な気持ちを持ちつつも、再び復活することを期待していた、というのが、私の、ユービーアイソフトというデベロッパーに対する思いです。
なぜ人々は怒ったのか
今回の騒動のすべての原因は、2010年代ごろからゲーム業界を席巻してきた「ポリコレのゴリ押し」にある、と私は考えます。
参考までに、アメリカにおけるDEI4産業の市場規模について、一部の報道によると、2020年のDEI関連の市場規模は約75億ドル(約1兆200億円)に達し、2026年までに倍増する見通しが示されています。
そもそもゲームプレイヤーたちは、ユービーアイソフトに限らず、作品に無遠慮・無配慮にねじ込まれるポリコレのゴリ押しに心底、うんざりしていたのだと思っています。
とりわけ同社の作品は世界中で配信されるAAAタイトルという極めて大きな影響力をもつこともあり、ポリコレのゴリ押しについて、ユーザーからひときわ強い批判を集めてきたといえます。「またユービーアイがやりやがった」というわけです。
そんな張り詰めた、起爆薬で満たされ張り詰めた空気の中、ついにユービーアイソフトは最後の火花を飛ばし、点火をしてしまった。大爆発した後の対応もまずかった。それが今回の問題の核心なのだろうと思います。
- もし、今回の作品が無名のデベロッパーによって開発された新規IPだったら?
おそらく炎上はしていなかったのではないかと思うのです。上記の論点である
- 「1.歴史の歪曲と事実誤認」
- 「2.日本文化と歴史の軽視」
といった問題にしても、無名のデベロッパーであれば「じゃあコストの問題もあるだろうし仕方がない」となったのではないでしょうか。しかし「シャドウズ」を発表したのは世界最大級のゲームメーカーであり、歴史考証にも十分なコストを避けるはずだと考えられているユービーアイソフトです。
そしてすでに述べたように、同社はこれまで数多くのポリコレのゴリ押しでひときわ悪目立ちしていた。こうしたこれまでの経緯から、やはり爆発炎上は不可避だったと思えます。
「コストやスケジュールの問題で十分な歴史考証ができなかった」のではなく「意図的にそうした」と取られても仕方がない。
そこに消費者は「他国の文化や伝統の軽視」などの「悪意」をみてしまったのだと感じるのです。
さらに、ユービーアイソフトの企業文化について私は詳しくは知りませんが、フランスといえばアメリカや中国以上に「謝ったら負け。どれだけ自分が悪くとも決して謝るな」という考えを持つ人が多い文化だと聞きます(もちろんそうでない人もたくさんいるでしょう)。炎上後の対応のまずさについてもこのような文化的背景も加味して考えた次第です。
弥助を主人公にした着眼点は悪くないと思う
私は個人的に、アサシンクリードの新作が日本を舞台にし、織田信長に仕えた「弥助」を主人公にするという話を聞いたときは、正直「見事」と感じました。
ユービーアイソフトが述べたように、世界中で配信され、多種多様な国や文化、民族の人々によってプレイされる超絶グローバルな作品において、極東の島国である日本の歴史を扱う。その「いざない手」として、弥助はうってつけだと言わざるを得ません。ここまでは悪くない。
「日本が舞台なのに、なんで日本人を主人公にしないの?」
という批判も多数寄せられたようです。もちろん私は日本人としてこの気持ちは理解できます。
- 「日本が見下されてる」
- 「これまでの同シリーズでは作品の舞台となる国の国籍を持つ人物が主人公だったはずだ」
- 「アジアだからといって下に見ているのだろう」
このように憤った人がいたであろうことも理解できます。
ですがあくまで個人的な考えですが、全世界でヒットを記録しなければならない制作サイドのプレッシャーを鑑みれば、私は個人的に黒人である弥助を主人公に据えたこと自体は、許容することができます。
ポリコレの難しさ
ポリコレについて改めて考えてみると、本当に難しい問題です。
個人的には、私は、創作にポリコレを持ち込むべきではない、という立場です。
シャドウズと同じく、海外のスタジオが制作した「ゴーストオブツシマ(Ghost of Tsushima)」においてもポリコレ配慮の表現は散見されますが、私は個人的にそれらは気にならなかったです。それは「ゴリ押し」ではなく「必然」まで落とし込まれていた、昇華されていたからだと思います。
しかし、次のようなことを考えてみると、ポリコレのゴリ押しについては、そう簡単に答えの出る問題ではないことが見えてきます。
私が影響を受けた映画の数々。半世紀生きてきた私の心にいまだに強烈に焼き付いているヒーローたち。私の中にはたくさんの、忘れがたきヒーローたちがいます。
- ブルース・ウィリス
- アーノルド・シュワルツェネッガー
- シルベスター・スタローン
- キアヌ・リーブス
ハリウッドが描いてきたヒーローは、みんな白人ですね。
もし、これらの映画スターたちが黒人だったら、あるいはアジア人だったら、彼らは、私の心のなかにこれほどまで強烈なヒーロー像として刻まれただろうか?
いや、そもそも私は、黒人がヒーローを演じる作品を見ようと思っただろうか?
- 「白人は黒人や黄色人種よりもカッコいい」
- 「白人が最も優れている」
- 「白人はヒーローにふさわしい」
こうした概念は、長い時間をかけてなされた「刷り込み」によるものです。もちろんメディアによるものだけではなく、長い人類の歴史による「刷り込み」です。私もその刷り込みにがんじがらめに縛られている人間の一人です。
特定の人々を優遇することは、必ず、虐げられる人々を生みます。実際に、ハリウッドでは長らく黒人の俳優に与えられる役は端役でした。今でこそ状況は代わり、黒人俳優であっても超大作で主演を務め、ヒーローを演じることも珍しくはなくなりました。
しかしこれまで虐げられてきた人々からすれば「まだまだ不十分だ。白人優位が『刷り込み』によるものなら、我々にも我々にとって良きイメージを人々に『刷り込む』権利があるはずだ。たとえ政治的・経済的な圧力を用いてでも」
このような主張をする人がいたとして、この主張に対する反論として「いや創作にポリコレを持ち込むのはやめてくれ。作品の芸術性を破壊しかねないんだよ」と主張したとしても、力不足であることは否めないのではないでしょうか。
では、過去に虐げられた人々への「お詫び」として、無分別なポリコレが芸術を破壊してしまうことを我々は許容すべきなのか?私は許容できません。もし誰かが私の表現に対して「お前が表現したいことなど二の次だ、マイノリティを公平に描け。芸術うんぬんの話ではないんだよ、数の問題、割合の問題なんだよ」と言ってきたら、私は断固戦うでしょう。
しかし、繰り返しになりますが、これは簡単に答えを出せる問題ではない。
政治的なパワーは、経済的なパワーに繋がり、さまざまな思惑を持った人が「かつて虐げられていた人々」の周りに群がる。
ポリコレの背景には、こうした事情があると思っています。
おわりに
大騒動になってしまったシャドウズですが、私は特に不買行動を行う予定はありません。先入観を持ったりせず、一つの作品として対峙して対峙するつもりです。プレイして、一つの作品として評価したいと思います。
ただ、最近のユービーアイソフトの作品はリリース直後は多数のバグに見舞われる事が多いので、いつもどおりすぐに購入はしないと思います。
米国の次期大統領になることが決まっているドナルド・トランプ氏が、これまでゲームにおけるポリコレのゴリ押しについて発言したことがあるかどうか私は知りませんが、民主党政権から共和党政権に変わり、過激ともいえる保守主義を唱えるトランプ氏が大統領になったことで、ポリコレを巡る状況にも変化が起こっていく可能性もあるかと考えています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
- フランスに本社を置く世界最大級のコンピューターゲームの開発・販売会社。「アサシンクリード」シリーズや「ファークライ」シリーズ、「レインボーシックス」シリーズなど、多くのヒット作を生み出している。 ↩︎
- ゲーム業界における非公式の格付けで、莫大な開発費や販売推進費用をかけて作られたゲームを指す。 ↩︎
- Intellectual Propertyの略で「知的財産」の意 ↩︎
- Diversity, Equity, Inclusion(多様性、公平性、包摂性)の略。 ↩︎
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